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日本最初の就業規則を所持する経緯

 今から20年くらい前に、私は就業規則の勉強をするために下野利弘先生が主催する研修会に参加しました。下野弘先生は、労働基準監督署の署長などを経て社会保険労務士を開業され、昭和50年に和歌山の住友金属に招かれて企業の労務管理や安全衛生に関する講師などを歴任されました。
 当時は、まだまだ高度経済成長の時代でしたが、産業構造は長大重厚型産業から軽薄短小産業編へと変革の最中であり、また、情報・教育産業等を中心とする第3次産業の飛躍的な発展に伴い、就業構造や企業内における労働構造も大きく変化していました。このような時代背景にあって下野先生はたくさんの就業規則に関する研究や研修を行ない、この分野で多大な影響を与えていた方でした。

 あるとき、先生は「日本で最初の就業規則はいらないか」と聞いてくださり、明治最初に創業された石鹸工場の就業規則の写しと関連資料をいただきました。
 この日本で最初の就業規則の謄本を入手された経緯と内容については、下野先生が昭和63年に発行された「就業規則の実務研究」という本の付録に掲載されています。

就業規則の実務研究

【下野利弘著:就業規則の実務研究】
 日本最初の就業規則といわれるこの規則のコピーを、どうして私が所持しているのかと言うと、これには次のようないきさつがある。

 昭和38年の5月ごろ、私が和歌山労働基準局の監督係長をしていたとき、当時NHKの番組に、「私の秘密」と言う人気番組があった。この番組に、横浜の堤さんというおばあさんが出演され、「私は日本最初の就業規則を持っております。」ということであった。当時の解答者は堀内敬三さんや石黒啓七さん達だったように記憶しているが、一般の人にはなじみの少ない問題であったので、最後まで回答できなかったように思う。
昭和38年と言えば、日本経済の成長も諸に着いたばかりで、事業場における労働条件も十分整備されていない時代であった。

 私は、明治初年に就業規則を作成して労務管理をしていたその先覚者に敬服するとともに、当時担当していた「中小企業労務管理近代化対策」の仕事になんとかこれを役立てたいと思い、早速NHKに住所を教えて貰って、当主の堤芳正さん(現在横浜グランドホテル常任監査役)に照会したところ、堤さんも私を「早速自分の仕事に結びつけて勉強したいとは感心な公務員だ。」といってその後名古屋で会って頂き、就業規則は勿論、当時の工場概要や作業の情景を描いた絵等多数の資料をいただいた。
 堤さんとは、その後も親密にお付き合いさせて頂いているが、先般横浜でお会いした時に伺ったところによると、この就業規則の原本は、現在横浜市の博物館に所蔵されていると言いことであった。従って、その謄本は、全国でも私一人しか所持していないという次第である。
規則の内容は、服務規律が中心になっているように思われるが、第3条には安全や時間外労働の規定もあって大変興味深いものがある。
堤さんに、改めて敬意を表しつつご紹介した次第である。

あとがき

下野先生は、就業規則の謄本をいただいた後、近隣の高校の古文の先生に依頼をして、書き下し文と翻訳文を作製してもらい、「就業規則の実務研究」の付録に掲載したそうです。
就業規則の作成に関わる社会保険労務士として「日本最初の就業規則」はたいへん貴重なものであると考えていますので当事務所のホームページに掲載し、多くの皆さんに見ていただきたく思います。
中谷社会保険労務士事務所
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